【環境の変化に適合できない少数の淘汰。それが進化というものだったのではないか】2014/04/28 6:15 AM

皆様
お早うございます。エニシです。
今日も私のブログをお読み頂いてありがとうございます。


ちょっぴり、残念な結論というかそれでも私なりに考えて一つの「捉え方」に行き着いたのでシェアしておきます。ただ、予め断っておくと私は少数だからといって多数のために犠牲になることを前提にした世界の仕組みはイヤなので、足掻くつもりです。


世界はただ、多数決で成り立っていると先日述べましたが、「世界にこんな不幸な人たちがいる」「ケシカラン」と言っても、さすがにそういう不幸な人たちが多数を握るようであれば革命の一つでも起きるわけで、そうならないにはそれなりの理由があります。

・戦争は良くない。でも戦争は起きる。しかし世界を巻き込んだ戦争で、例えば世界人口の半分が失われたなんてことはない。

・化学物質は良くない。でも、アレルギー症状などを起こす人は確かにごく一部。一般の人は、毛染めをやろうが化学物質タップリのコンビニの弁当を食べようが、何の問題も起きずに平々凡々と日常を送ることができている。

・1日3食は、多分よくない。でも、90%の人がそういう生活をしているなかで、肥満の割合は確かにまだまだ少数派。

・電磁波はよくない。しかし電磁波過敏症の方というのもかなりの少数派。耳の真横で使ってもなにもおきやしない。


言いたいのは、これから例えば500年~1000年というスパンの時間のなかで、こういう文明がもたらした環境の変化に対応し、何の問題もなく生きていける人間というのが自然と生き残っていくという形になるんじゃないかということです。淘汰による進化、あるいは適応できる人間が新たに生まれるようになるといった形で。

昔はこうだった、という原始時代の生活を持ち出して、そちらに合わせる方がいいというのは理屈では通るのですが、原始のスタイルに合わせるということを完全な正としてしまうと、今度はじゃあ、進化(というか変化)を否定しますかという議論になる。

原始の時代は良かったかも知れないが間違い無く寿命は我々より短く、栄養状態がよくなりすぎたことで確かに癌などの生活習慣病は増えたのかも知れないが、その分平均寿命も明らかに延びている。


環境の変化に適合できない少数はどう足掻いても一定の割合で出てくる。世界は基準をそこに合わせるのではなく、適合できる個体が生き残って多数を形成する。これが自然の摂理だったのではなかったか、と思うのですね。


この考え方に立つと、私の今までの活動は見事に全て否定されます。(^^;)はは まいったね。ただの潔癖症というか、自分が少数派だったが為の愚痴という次元に陥るのです。

utsu


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カテゴリ:医療・健康
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