【とてつもなく重要な決断については、誰も責任を負いたくない。】2013/10/01 8:14 AM

皆様
お早うございます。エニシです。
毎朝庭に出すソーラーパネルが、私のポケットWi-Fi(イーモバイルGL04P)の1日分の電気を作ってくれます。ありがたいし、エコ。(=ω=)

さて、原発事故やらに絡んだりのものすごく重要な決断の局面で、何故か議事録が作られていないということがしばしば出てきています。

ふざけるなと思う反面、極めて高度な判断を迫られる場合に、おちおち議事録など作れば大変な事になるというのも理解できるので、作らない人の気持ちも分かります。

というのも、何らかの決断が人の命を天秤に掛けたりするようなケースが、特に政治家などのレベルになってくると往々にして出てくる。1人の犠牲で10人が助かる、というようなケースです。卑近な例として挙げるなら、新幹線の線路内に立ち入った人が居て、その人に新幹線が猛スピードで目前に迫っているというような状況です。

A.新幹線を一瞬で止める方法があるので止める。

B.そのまま新幹線を走らせる。

この二択があるとき、Aを採用すると、止まって線路の1人は助かりますが、逆に新幹線に乗っていた数百人がペシャンコになります。Bだと線路の1人は当然亡くなります。しかし新幹線の人々は助かります。

この状況に出くわして、その決断をしなければならない身分だったとして、その人は恐らく、考えている時間は10秒も与えられないでしょう。どちらかを取るしかない。こんなとき、その人が取った決断がどうだったかの議事録を取られると、

Aを選択した⇒新幹線の数百人を殺した
Bを選択した⇒線路の1人を殺した

となって、どのみちとんでもない責任を負うわけです。
ところが、議事録さえなければ

Aの結果がもたらされた⇒システムが自動で止めた
Bの結果がもたらされた⇒急ブレーキを掛けたが間に合わなかった

とまあ、何とでも言い訳はできるようになるし、個人として責任を負わなくて済む。誰かに恨まれずに済む。

こういう、自己防衛というか、神様や自然がやったのでない限りは誰かに責められるという状態は誰でも嫌でしょう。決断は下す。それが義務。しかし、それの正しいかどうかは神のみぞ知るという状態で、いちいち人に恨まれていてはたまらないというのが権限を持った人の本音でしょう。

この辺りの実情というか、どうしようもない部分についての理解が世間一般にない限りは、誰も議事録なんて作らないでしょう。責めるのは簡単です。でも自分が同じ状況に置かれたときに、誠実さだけで議事録を作れますかということになります。

政治家の先生達はストレスがたまるだろうな・・(^^;)

musekijida01


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カテゴリ:政治
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