【いじめの加害者と被害者と】2014/11/16 10:57 AM

皆様
お早うございます。エニシです。

今日も引き続き、石川からブログを書いています。昨日は雨が凄かったですが、今日は気持ちの良い晴れ空でございます(=ω=)

さて、今日のテーマですが、タイトルの通り「いじめ」です。

白状すると、私は小学校の一時期、いじめの加害者側に回っていたことがありました。相手は、本当に気の毒なのですが容姿に恵まれない女の子で、クラスの男子の全員から嫌われているという状況でした。叩いたり殴ったりということは一切ありませんでしたが、酷い言葉を浴びせたことを覚えています。(今会えるとしたら、本当に土下座して謝りたいです。)

しかし、イジメは間違い無く世界からなくすべきことなのですが、子供の社会のそれをあれこれ大人が言う傍で、大人の社会にも間違い無くイジメは存在しているし、もっと大きく、民族同士、国同士でもそれは存在しています。

これほどまでに根深く、根絶できないとなると、何か「集団」というものがこのイジメを作り出すというメカニズムを内包しているのではないかと考えたくもなってきます。

動物学の知見からこの点について考察した方の言葉を借りると

++ここから++

実は、集団ができると弱者が作り出されるという現象は、人間だけにあるわけではなく、動物界でもしばしば起こり得る現象であると言われている。

集団があると、その中で、必ず弱い存在が作られて、徹底的にいじめられるのである。

群れる魚集団でもそうだ。まず、いじめられる存在が作られる。いじめられる魚は、集団で物理的な攻撃(いじめ)に遭って弱らされる。

熱帯魚のディスカスという魚があるのだが、この魚も水槽の中で一番弱い個体に対して、非常に激しい「いじめ」をする。物理的に攻撃して、弱い存在をさらに弱らせていく。

しかし、このディスカスというのは獰猛な魚であるというわけではなく、他の種類の魚を攻撃するようなことはない。あくまでも仲間内の一番弱いものをいじめるだけなのである。

シマウマや、サルの世界でも、極端ではないにしても、そういった傾向はある。仲間のうちの誰かを、物理的にいじめて「弱者」に仕立て上げていく。

実は、動物界にとっての「弱い者いじめ」は、自分が助かるための戦略である。

動物の世界では弱肉強食だ。生物は、より大きな生物に襲われて、エサにされてしまう。逃げられなければ、自分が食べられてしまうのである。

そういった緊張感の中で、群れる動物は生きている。

群れるのも、一匹でいたら弱いからだ。しかし、群れてもまだ心配だ。では、どうすればいいのか。

捕食者に襲われて一斉に逃げるとき、自分よりも足の鈍い個体がいてくれれば、自分が助かる。

捕食者は弱って動きの遅い個体を選べば狩りが成功しやすいので、常に弱い個体を狙ってくる。ということは、群れの中で、弱い個体を用意しておけば、「自分が助かる」のである。

ここに「弱い者いじめ」が本能になる意味がある。集団の中で弱い者を作り出しておけば、そちらが犠牲になってくれるので、自分が生き残れる可能性が高まる。

つまり、集団の中で弱者を作っておくというのは、切実なサバイバルの一種だったのである。

++ここまで++

人間も、集団で生きて捕食者から身を守っていた頃の名残がまだ残っているのかもしれません。あるいは、資本主義のなかで常に競争にさらされて一定数が会社からの退場を強いられるという環境で、犠牲者を予め用意しておくという深層心理が働いているのかもしれません。

lion
となると、イジメを根絶するためには、人間を遺伝子レベルで変えないといけないし、生き残りの競争原理が働かない環境を作らないといけないわけで、これは相当、難儀な仕事だろうなというのが想像に難くないわけで。

やれやれ、救われないですね。

ziro


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カテゴリ:時事, 精神世界
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