【ネガティビティについて考える】2012/06/29 5:44 AM



皆様

お早うございます。エニシで御座います。今日も私のブログを読んで頂いてありがとう御座います。



八ヶ岳UFOコンベンションなる、毎年秋にその名の通り八ヶ岳の山麓で開かれる、UFOの目撃証言の共有会に毎年参加している(笑)のですが、そこであるスピリチュアリストというかそっち方面に詳しい方の話を聞いたところ

『宇宙にはものすごく平和な惑星と文明というのも勿論あるのだが、祈ってばかりで全く進歩が見られない。競争も何もないから、本当に停滞してしまっている。』

との事でした。

競争は良くない、比較は良くない、という見解から生まれたゆとり教育という政策でしたが、結果は惨めなモノで皆さんご存じの通りです。

http://japanese.joins.com/article/516/93516.html?sectcode=&servcode=

どうも、ネガティビティ、つまりは競争したり、奪ったり、殺したり、妬んだり、憎んだりといった人間が持っている要素というのは、何か意図があって創造主が敢えて人間に埋め込んだものなのではないかと。で、その意図というのが「進化を促す」というか、ネガティブな要素が進化にどのような影響を持っているのかということを調べるための実験だったのではないかと、そう思うのです。

科学は極論すれば、『自然を理解し、支配する』という意図の塊ですが、実際にニュートンが重力方程式をあきらかにして、産業革命以降に起きた社会変革と人類の数を見てみると

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この通りで、爆発的に人口を増やし、地球上での版図を拡大したことが分かる。



競争の全く無かったある小学校のあるクラスに、新しい評価基準(これは相対的なもので良い)を敷いてさらに、その評価基準では恐ろしく優秀な生徒を一人送り込むと、彼を嫌う奴も出てくるが追い越そうという奴も出てくる。

そうしてあーだこーだ言いながら一定期間が経つと、そのクラスの平均点というか、絶対的な基準から見たそのクラスの生徒達のレベルは明らかに上がる。



とんでもない独裁者が現れると、それを打倒せんとする同じくらいの力を持った別の正義の味方も現れる。

こんな感じで、何か進化の袋小路に陥っていた我々に対しての工夫というか、与えたショックの一つが「ネガティビティ」だったのではないかと思うのです。


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カテゴリ:精神世界
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