【同じ暇持ちでも得たモノの違いは天と地】2013/12/22 5:30 PM

皆様

こんばんは。エニシです。

最近なかなかブログが更新できず申し訳ありません。どうやらこのところの本業の残業続きで疲労が蓄積していたようで、今日は昼間をほとんど寝て過ごしてしまいました。。。(^^;)なんて非創造的な生き方かなと。

 

むかしから語られている金持ちと、南の島で自給自足で気ままに暮らす原住民の人の逸話があります。多少パターンはあるけどだいたい以下のような話。

・原住民と、大金持ちが南の島で会った。

・原住民は問うた「どうしてそんなに働くのか?」。金持ちは答えた「金を稼ぐためだ」

・原住民は問うた「そんなに稼いでどうするのか?」。金持ちは答えた「別送を建てる島を買うためだ」

・原住民は問うた「買って建ててどうするのか?」。金持ちは答えた「そこで気ままに暮らすさ」

・原住民は言った「それなら今の私と変わらないし、私は既にそれを得ている」

 

こんなお話です。身を削ってあくせく働いた先に得られるモノは、巡り巡っても大した差の無いもので、よって意味の無いものだということを諭すお話です。

しかし思うのは、彼等二人が例えば同じ60歳で引退した身分だとして、

・原住民の人は、ただ自給自足で生きてきた。そこには先祖と比べた進化もなく、きっと彼の子息にもそれはない。

・金持ちは、俗世ではあるが色々な人・物事と関わり、様々な経験を積んだ。

結果というか、落ち着いた場所だけ見れば同じですが、得た経験の蓄積は全然違う。もし輪廻があるとしたら、間違い無く金持ちは霊的な学びを積んでいる。

 

・・・と思うのです。文明は人間の力です。猫も杓子も原始に帰れというのは、多分神様の狙いじゃないだろうなと。そう思います。

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カテゴリ:精神世界
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