【経験者だけが語れる圧倒的リアリティ:悩みは資源】2012/06/21 5:36 AM



皆様

お早うございます。エニシです。今日も私のブログをお読み頂き、ありがとうございます(^^)



私の活動は、約4年前に「自分の経験したうつ病の地獄と、それを克服した経緯・手段を世の中の同じ病の人に遍く伝えたい」と思ったことから始まりました。最初は本当に、知人の社長さんの会社の一室を無償でお借りして、3人ほどが集まった状態で細々とやっておりましたが、今では地方の学会や有力者の方々がコーディネートしてくれたところに出向いて数十人を相手に話すというところまで大きくなっています。

大手の新聞社やテレビ局が語る内容よりも、私のような名もない一個人が語ることの方がリアリティがあるというのですから、世も末というか(笑)日本も変われば変わるモノだとおもうばかりであります。

何故こんなことが起きるかというと、そこには体験者のみが語れる圧倒的なリアリティというものがあると考えています。例えば私の場合、廃墟になっている神社の境内の裏で木の腕に紐を掛けて首を吊った瞬間の、

『他の誰のモノでもない自分の死が確定した瞬間の絶望(取り返しの付かないことをしたという凄まじい後悔』

『血と息の巡りが断たれた強烈な苦しさ』

これらを表現するとき、体験者でしか出てこない行間の「何か」が出てくるわけです。文字も言葉もある事実を表現するときに圧倒的な情報量の少なさを痛感するものですが、それでも自分が体験した特に感情の出来事を表現するとき、その体験者が書くものにはどんなに表現が拙くともそこに込められる「何か」がある。



『咳をしても、ひとり』

これは、ある文学者が晩年の自分の置かれた状況で書いた言葉です。俳句でも短歌でもない。正直、何の変哲もない。ところが、病に伏していても誰一人自分を救う人がいないという絶望的な状況が、不思議とこの言葉から滲んでくるのです。



心療内科の先生方、大病院の精神科の先生方は、さぞかし立派な教育を受けてきたのでしょう。臨床心理学などなど。ところが、彼らは自分自身が心の病を患った訳じゃない。教科書で「うつ病は辛い」「うつ病の人というのは一般的にこうだ」ということを教科書で読んだに過ぎない。

理屈は分かっていても、そんなものでは人を理解することは出来ない。患者の言うことなど分かるはずもない。だから、3~5分くらいの人の話を聞いてるのか聴いてないのか分からない態度の問診で、適当な理由を付けて薬をバンバン出すという対応がとれる。

向精神薬の副作用のきつさは、味わった人間でないと理解できない。あの、自分が廃人化していっているということをひしひしと目の当たりにする地獄は。



しかし逆に言えば、1度何か酷い経験(それが普通の人が味わうものでなければないほど良い)をした人は、それを自分自身が五感を使って体験したという、他の人には絶対に共有し得ない資源を持ったということもできる。そこを抜けた先に、その資源を使って社会に何か良いことを還元するということが可能なのです。

悩みは最大の資源です。間違いありません。

6a0147e35a8d29970b016767b79670970b


【コメント】

コメントはまだありません

コメントを残す

カテゴリ:精神世界
ブログのアーカイブ