【今の時代に「完全なオリジナル」というのは難しい。】2012/06/10 4:52 AM



皆様 お早うございます。エニシです。

今日もお読み頂いてありがとうございます(・ω・)



インターネットでは、検索エンジンを用いてキーワードを叩けば簡単に関連するものを調べることができます。いわば、他人の知識を使って何か考え事をしたり、解決策を得たりということが本当に簡単になったということで、個人が持っている脳みそ以外にも全員が共有する知識があるということで、これは「集合知」と言えます。

で、こうなってくるとどの知識がそもそも誰のであって、ということはあまり意味が無くて、情報があることは前提としてそれらを組み合わせてどう価値を生み出すかということが重要になってきます。

実際、一人の頭の中に知識をどれだけ詰め込むか、覚えていられるかということにもはや価値は無くなったということで、試験中にパソコンとインターネット環境を完備して使ってOKという試験を導入している大学がもあるようで。

http://current.ndl.go.jp/node/18197

おそらくこういう流れはどんどん加速していくでしょう。どれだけ知識量が多いか、例えば法律の条文を諳んじることができるかなんてことには誰も能力として見向きもしなくなるわけです。



まあ、とは言っても人間誰でも師を持って育ってきたわけで、あのアインシュタインですら相対性理論のことを指して

「先人の知恵の上に成り立ったもの」

と言っていました。その意味では別にインターネットがあろうと無かろうと、過去の人の努力の蓄積が今の我々の知恵なのですから、謙虚にならんといかんですね。

私だって、今の知識と思考力を得るに至ってお世話になった方々に思いを馳せると・・。

「根本流宿題術」 (小学校時代に計算ドリル・国語ドリルを3周やることを義務づけ、粘り強さを教えてくれた先生。)

「山田流数学術」 (高校時代、質問しまくる私に嫌な顔一つせず付き合ってくれた初老の先生です。)

「中臺(なかだい)流化学」 (高校時代、同じように世話になった若い先生です。)

「村山流システム思考」 (大学時代にお世話になった社会工学の先生。)

「國島流マネジメント術」 (大学院時代にお世話になった教授で、人心掌握に長けていた方です。)

ちょっと考えただけで、私のオリジナルではない何かを私に伝授してくれた人たちの顔と名前が思い浮かぶ。

知恵は過去の賢人からの借り物でございます。謙虚にならねればなりません。(=ω=)合掌。
6a0147e35a8d29970b016306508e35970d


【コメント】

コメントはまだありません

コメントを残す

カテゴリ:経済
ブログのアーカイブ