【行き着くのはただ、「人が多すぎる」ということ。】2012/05/16 5:10 PM



皆様

お早うございます。エニシです。



私は大学院修士時代、日本全国で無駄な公共事業が無くならない理由について、必死扱いて追求していました。その際には結局は、地元の土建屋の既得権益だとか、そこに選挙区を持つ政治家の支持基盤の確保のためとか、どうにも回りくどい結論を出したのですが、今はこれだという結論が私なりに導き出せています。

それは、残念ながら

「人が多すぎる」ということ。

人類が増えていくのは良いことだと思います。それこそが繁栄という奴だと思います。ところが、地球は有限なのに、我々人類が無限に増えていけるというのもまた不自然な話で、持続可能なレベル、閾値というのがどこかにあるはずです。



日本の場合、1960年代から高度経済成長を迎えた際、田中角栄が列島改造論というのを持ち出して日本をくまなく発展させるプランを作った。しかしこれは極論すれば都市圏で得たお金を地方に公共事業の形でばらまくということに過ぎませんでした。

上り調子で都市圏がどんどんとお金を稼ぐときには良かった。地方にまったく採算性のないハコモノを作っても、都市圏が稼ぐお金で赤字を埋めることができた。ところが、際限なく発展していく国などなく、頂点もあれば没落もある。(上り調子のさなかにある人にはこの事に気付くことは至難の業)

いざ日本が停滞期に入った時、気付いてみれば地方には、全く意味の無いハコモノが残り、その維持管理だけにも相当のコストが掛かるところ、さらにタチが悪いことにそのハコモノをさらに増やすか、訳も無く維持管理していくかということ「しか」仕事が無い、つまりそういう「無駄な公共事業がないと生きていけない」という人たちを大量に地方に生み出していた。

人が居る以上は養わないとならない。切り捨てることなど人道が許さない。何より、一応民主主義の形を採っているために、生活に困った人たちは徒党を組んで自分たちの生活の糧である公共事業をよこせとありとあらゆる手段をとって動く。そうやって、数さえ揃えば政治はその方向に動いていく。(この辺は日本の実質破綻状態にある年金制度がいつまでたっても改革されないのも同じ構造。)



こうやって、向こう見ずな民主主義国家というのは、その一人一人が極めて合理的にエゴで動いていく結果、全員揃ってご破算という羽目を見るまで止まらないのです。



世代間会計などの概念を用いて、いつ頃どの程度人が増えるとその年齢層がいつころ、社会でどういったステークホルダーになるのか、といった点まで考えて成長や発展にもコントロールを加えておかないと、気付いたときには既に遅いという茹で蛙状態がもたらされる訳です。

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為政者側はこの辺りまで考えること、そして ぺ
国民もこういうことをまじめに考えてくれる人を国会に送れるように政治に関心を持って勉強しておかなければならないのですが・・。なかなか難しいようですね(^^;)




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カテゴリ:経済
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